信じるとは?

恋人のことを信じていたけれど、裏切られました。

こんな言葉を耳にすることがあります。

そもそも「信じること」とは、どんな意味なのでしょう?

芦田愛菜さんが持論を展開して一時期話題になっていました。

 

下記、芦田愛菜さんの考えをご紹介します。

→「相手を信じることの意味」について深く考えた結果、

「その人を信じているのではなく、自分が理想とすることに期待しているのではないか?

だから、期待と違うことがあると裏切られたと思うけれど

その人が裏切ったわけではなく、

見えていないところが出てきた。それを受け入れるかが大事ではないか。」

 

世間は、かなりこの意見に賛同されていた印象があります。

 

私自身は、「信じる」ということを下記のように考えています。

人‥自分以外の人に何かを求めている場合は「期待」や「願い」

この「期待」や「願い」を振り払った思いが「信じること」だと思っています。

「期待」とは、成果や報酬あるいは意に沿う結果が得られる、満たされること。

「願い」とは、思いもよらぬことの実現、尋常な手段では得られないものの実現。

多くの人は、「期待」や「願い」をついつい「信じる」と言っているのかと思います。

でも「信じる」とは、そもそも「期待」や「願い」とは違うものだと思うのです。

 

損得、欲得、そして奇跡や偶然の産物などを人に求めるのではなく

自分自身が結果に拘らずに納得できるブレない強さが「信じる」ということです。

相手が人だろうと、事象だろうと自分自身に反ってくる損得・毀誉褒貶に一喜一憂している限り

それは「信じる」行為ではないと思うのです。

「信じる」は自身の中にあって、自らの重石(オモシ)のようなものかと思います。

ですから、「信じる」ことに「裏切られた」という概念はないのです。

「信じる」ことは自分自身のブレない強さです。

「期待」や「願い」ですと「裏切られた」は、伴います。

「愛を信じる」

報われようと報われまいと自分自身がその人を想う心に

真摯で誠実であるならば「信じた想い」は

十分に豊かで満ち足りています。

 

恋愛 婚活 OMプロデュース

(夫婦関係 浮気 不倫問題まで)

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